絶対的な美を前にした自分の無力さを - 金閣寺

「空間を切り取る」

柏木「俺は君に知らせたかったんだ。この世界を変貌させるのは認識だと。(中略)認識だけが、世界を不変のまま、そのままの状態で、変貌させるんだ」
私「世界を変貌させるのは決して認識なんかじゃない(中略)世界を変貌させるのは行為なんだ。それだけしかない」
私「美は…美は…美的なものはもう僕にとっては怨敵なんだ」

昭和25年の金閣寺焼失という事件をテーマに、コンプレックスに満ちた若い学僧の意識の変遷が約280ページにわたって美しい文章で密度濃く描かれています。意識の変遷と言っても結局のところは呪いからは逃れられぬ堂堂巡りの思考なのですけれど。屈折していく学僧はついに金閣を焼こう、という結論に至ります。
正直文章の(ロジックの?)難易度は少々高く、『私』や『柏木』の理論展開に完全についていけているわけではないのですが、日本語を読んでいるだけで心地よくなるこの感触はなんなのでしょうか。プロットはびっくりするくらい単純なので、難しい文章の割りには読んでいて疲れが少なく、目で追いかける日本語のリズムを感じているだけでも280ページは持つと思います。
金閣を焼く決意をした彼はこう考えるのです。

おしなべて生あるものは、金閣のように厳密な一回生を持っていなかった。人間は自然のもろもろの属性の一部を受けもち、かけがえのきく方法でそれを伝播し、繁殖するに過ぎなかった。(中略)人間のようにモータルなものは根絶することができないのだ。そして金閣のように不滅なものは消滅させることができるのだ。

彼は金閣の永遠性と圧倒的な美を感じた事により、自分自身の美や生とまっすぐに向き合えないでいます。いや、ひょっとすると真剣に向き合っているが故にその空しさ、無力さを時空を越えて金閣から訴えかけられているのかもしれません。その証拠に彼はこういっています。

金閣は無力じゃない。決して無力じゃない。しかし凡ての無力の根源なんだ」

作中に、彼が金閣を焼く動機は世間に永遠の不確かさを示す為、と述べている部分があります。しかし私にはこちらの理由が本当なのではないだろうかと感じられました。つまり、金閣の存在を自分の手で消すことで、相対的な自分の無力さから抜け出すことができると信じていたのではないでしょうか。
とか色々考えながら読んでました。ところで純文学というのは、主人公の男が物語の進む過程で独特の世界観を持つ友人と出会い、それに影響されるという形式の作品が多いような気がします。といってもすぐには具体例が出てこないんですけれど。井上靖の作品とかがそんな感じだったような気がします。
金閣、生、美、と、主人公との関係性についてしっかり把握できた上でもう一度読み直したいと思いました。今度はもう少しゆっくり脳内音読でもしながら。

金閣寺 (新潮文庫)

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