ゆとりの法則(その3)

ゆとりの法則 ? 誰も書かなかったプロジェクト管理の誤解
疲れが溜まって、今日は全然仕事になりませんでした。自分マネジメントに失敗です。

「上司に聞かせたかった」の法則

きびしい変革を断行する必要があることをうまく説明できたときほど、あとで聴衆がやってきて「今日の話を上司に聞かせたかったと言う事が多いのだ」

そして、どんな階層の人に話をしても、同じことをいうそうです。つまり、上司に変えてもらうことを期待することの無意味さの話ですね。状況が存在するときに、「ならばここで良い状況に持っていくために自分は何ができるのか」を常に問いかける存在でありたいものです。
まあ逆説的な話ですが、変えられないことを前提に組織の愚痴を言うのは「何で変わってくれないんだ!世の中腐ってる!」とか叫ばないだけ、わりと健全なのかな、とも思います。

信頼を与えることの重要性と難しさ

(信頼を与えられると、)私を信頼してくれた人に後悔させないようにしようと決心したものだ。
リーダーは、だれを、いつ、どれだけ信頼するべきかを判断する。しかし、相手にどれだけの準備ができているかを、間違いなく理解できる能力が必要である。

私の上司は、私の能力を割と理解し、その上で信頼してくれているような気がします。あれやれ、これやれと1から10まで言われることはほとんどなく、非常に柔軟に仕事をさせてもらっています。判断に困ったときに相談に行ったらしっかりと応えてくれます。
ひょっとしたらこれも上司が「ゆとり」を持っているおかげなのかもしれません。もし上司が上司の仕事でいっぱいいっぱいだったとしたら、「自分ごときのくだらない相談」をしにいく勇気がなかなか持ちづらかったかもしれませんから。
「ゆとり」に関連してもう一つ。別の上司がかなり忙しい感じの人です。私は仕事をしているときにしばしば、はっきりと形に出来ていないちょっとしたアイデアが浮かびます。そしてそのアイデアがその忙しい上司に関係したものである時に、雑談程度でも話を聞いてもらいたいなあと思うときがあるのですが、忙しい上司ってなかなか本題以外の内容で話しかけ辛いんですよね(忙しい後輩はただの後輩ですからw)。これって変化のチャンスが消えちゃっている状態そのものなんじゃないのかなあ。幸運なことに話を聞いてくれてしかもちゃんと話を広げてくれる先輩がいるのでブレストちっくに頻繁に相談させてもらってます。あの先輩のゆとりは私にとっては宝物です。
まあ自分を省みるに、忙しいときにはイライラが顔に出てしまうので、余り回りに変なオーラを飛ばさないように気をつけたいものです。

訓練、と似非訓練

訓練=新しい仕事を、ベテランよりはるかにゆっくりやることによって練習すること

だが、たいていの企業の訓練は、この「遅い」という特徴を欠いている。というお話です。
この話にはちょっと異論があって、ゆっくりじゃなくても、上手くできたならそれでいいじゃないか、と思うわけです。短い目のスケジュールであるライブラリの使い方を必死に覚えて使う、全容を理解するのは大変なので、最初はサンプルからのコピペでもいいからとにかく使ってみる。これのどこがわるいのか、と。
もちろんコピペするだけで作業内容の咀嚼をしなかったら、その人に何も残らないのでそれはやっちゃいかんとは思いますけど…って、悪い例として自分のことを思い出して恥ずかしくなってきたのでこの辺りで。食べたものを咀嚼するゆとりだけは持ちたいものですね。TODOリストに「この案件が片付いたら業務内容を咀嚼」って書いてても、いざ仕事が終わったときに咀嚼をちゃんと実行するのってものすごい精神力がいるのですよ。大抵意識は次に待ち受けて燃え上がっている作業に向かっちゃうから。