読んだという記録をつけたいだけなのかなあ

多読と精読という言葉があります。
前者は文字通り沢山の本を読むこと、後者は一冊の本を隅々まで読み込むことです。
私の本の読み方はかなり前者で、物語の流れは覚えているのですが、細かいところをほとんど思い出せなかったりする事が多いです。脇役どころか主人公の名前すら覚えていない事があります。ビルマの竪琴も、永島だか永嶋だか長島だか覚えていません。と、読み直したら水島じゃないですか。とまあこのくらい覚えていません。
私は物語の筋が好きなのだと思います。だから、誰がどうこうした、そしてこういう流れでこんなことが起きて、こうなった、という大まかな流れには注意が向くのですが、その中での細かい部分を余り覚えられないのでしょうね。
ただ、浅い読み込みであることには変わりなく、読んだ本の内容を忘れる事も多いです。
そういう私でも、それなりに作品を記憶に留める方法が1つあります。それは単純な話、記録をつけることです。
一度読んだ本の記録を、ざっと読み返しながら印象に残った点を少しずつ抜き出して、自分なりに考えをまとめるのです。まとめるといっても日記に書いてるのに毛が生えた程度ですが、*1まとめるという行動そのものがたぶん記憶への定着を高めるのでしょうね。単語帳は書く事に意義がある、みたいな。
まあ、読んでるときに楽しければいいや、という考え方も有るんですけれど、覚えていないより覚えている方がなんだか得をした気になるってもんで。
それはそうとして、ここ最近読んだ本は当たりが多くて嬉しい悲鳴です。図書館めぐってるだけでこんなに人生楽しめるんか!

*1:毛が抜けた程度のものもありますが