古賀稔彦 世界を獲った男、その生き方
というわけでもちっとさわやかな話題を。
図書館で柔道の本を二冊借りて、そのうち一冊はちょっとアレだったので30分くらいでギブアップ。で、こっちを読み始めたのですが、熱くってまっすぐな生きざまにほれぼれします。古賀稔彦、ええ男や。
どんな場合であろうと今書こうとしている一枚を最高なものにしよう、という気迫が何よりも必要なのだ。その気迫が集中力を生む。たとえ失敗したとしても、集中して書いたものなら、失敗の原因を容易に分析することができる。そして、さらなるステップにつながるはずである。
柔道の本ですが、これは書道についての話です…。やる時は真剣にやる、そうでないなら練習に意味はないという耳に痛い言葉です。つい自分は時間をかけることそのものにも意味はあるはずだ、的なことも考えてしまうからなあ…。
ずるさや甘えは一切許されない。自分に甘えたら、そこで終わりだ。レベルアップなど、できるはずもない。
そういう練習が当たり前になっていると、不思議と内容の薄い練習には耐えられなくなってくる。苦痛に感じるのだ。こんなんじゃだめだ、もっと気合いを入れてやらなければ、と自らを叱咤激励するようになる。そうやってレベルを上げていきながら、将来の自分がどうなっているのかを想像するのが楽しみだった。
将来の成長を楽しみに今をがんばる、いい言葉です。なんのために頑張るのか、その意義を考えるとつい立ち止まりたくなりますが、成長することそのものが意義なんでしょう。迷いなく、まっすぐに。
完璧な一本負けだが、最後の最後まで攻めて勝つことを自分のスタイルとしていた私は、攻め続けたことに悔いはなかった。
と清々しい負けもあれば、
しかし、私は悔しかった。試合に負けた悔しさではなく、自分が妥協してしまったことに対する悔しさである。
自分を責めることもある。
毎日が楽しくて、楽ばかりしていると、人間は次第に物足りなくなってくるものらしい。張り合いがないのだ。目標を決め、それに向かって頑張る必要のない日々は、気持ちがだらけきって生活にもメリハリがなくなる。
怪我に怪我を重ねてオリンピックに再挑戦しようとする時には次のようなことも考えてます。
今の私は過去の栄光などない0からのスタートで、必死に努力している。できないことを一生懸命に克服しようとしている自分は、自己満足がむしろカッコいいのではないかと、だんだん思えるようになっていった。
あ、そうか。自分が信じる道を真剣に進むことができるのならば、自己満足でもいいのか。
スポーツに打ち込んでいる人の言葉は熱くて真っ直ぐで、小難しい理屈なしで心にしみこんでくる何かがこもっているような、そんな気がしました。
- 作者: 古賀稔彦
- 出版社/メーカー: 東京学参
- 発売日: 2001/01
- メディア: 単行本
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