ダンス・ダンス・ダンス

ユミヨシさんの凡庸さは日常性のシンボルで、ユミヨシさんと繋がることが「僕」を日常につなぎとめるという意味のメタファーなのだろうなというのは感じましたけれど、ハードボイルドワンダーランドと同じで事象Aと事象B(今回は世界の乖離(事象A)とユミヨシさん(事象B))の関係性を支持するデータが「僕」の内面以外に存在しないというのがちょっと不満かな、と思いましたが、それを筋を通して語らないのがたぶん村上春樹なのだろうなあとも思うわけです(下手な日本語)。フランス映画を観てメカと爆発を求めるようなものですかね。フランス映画全然知りませんけれど。