幸せ、幸福の測り方

資本主義は、贅沢品を必需品に変えることに長けている。特権階級がいつも享受していたものを大衆にもたらすのだ。 だが、この能力を裏返せば、人々は、以前は遠くから欲しがっていたものを、持って当然と思うようになるということだ。
持てるとは思いもしなかった虚飾が、なしでは済まされない必需品になる。より良い生活水準を実現すると、その楽しみに慣れてしまうからだ。人がそれを楽しむことができるのは、他人がそうしない場合に限られるのだ。

彼らはまた社会的な地位に憧れるが、そうする過程で、生存競争で負けないためにより速く走るよう他者に強いる。だから、だれもが敗者になる。

とはいえ、労働量が減ればより幸福になるかと言えば、それは自明ではない。米国で週の労働日数が短縮された時、空いた時間は熱心なテレビ視聴で埋められた。

一方、繁栄している経済は、生物学者が生態的地位(ニッチ)の「込み合った川岸」と呼ぶものを創造する。それらの間には明瞭な上下関係はない。そんな社会では誰もが、自分が所属する特定集団でトップになる希望を持てる。
たとえ自分が見下している人は、少し違った集団のトップを自任しているにしても。

これも、参考になる部分が多すぎて全然まとめきれていません。冒頭の『資本主義は社会を裕福にし、自由にすることはできる。だが「幸福にしてくれ」と頼んではならない 』が全てを言い表してる、とは思います。
是非ご一読を。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20061230/116343/