踊る阿呆は幸せだと思う

物の見方が正確になったからといって、幸せになれるとは限らない。
みんなの楽しんでいるものが馬鹿らしく見えて、疎外感を感じる可能性だってある。
踊る阿呆に見る阿呆という言葉があるように、一緒になって踊るべき時というのは確実に存在すると思う。
だから僕は、見えていながらも踊れる阿呆になりたい。

なりたいのだけれど、飲み会で
「いえーい」
とか
「1にょっき!」
とか叫ぶキャラクターには一生なれそうもありません。
この辺修正できるようなら人生やり直してもいいかなとか思ったりしてます。